妊娠記録【39周目】

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結論的には、色々と準備はしたものの、夜中に破水してしまい、

親の助けを借りることに。ありがとう、親。

マタニティータクシーで行く選択肢もあったけど、

親が送ってってくれるというので、そこはお願いすることに。ありがとう。

破水した娘を一人で病院に行かせるほどの人たちではなかった。

なんというか、出産はみんな壮絶な痛みとの戦いだと思うし、

みんなそれぞれの物語があると思うんだ。

私も記録してあるから、載せておこうと思う。

以前のブログの内容とかぶっているところもあるけれど。

命を生み出すってほんとすごいのよ。

私を産んでくれてありがとう母。

■0100すぎ

トイレに目覚めたり、あまり良い眠りではなかった。

尿も少なかったし、多分空腹だったのだけど、食欲ないので、

豆腐でも食べようかと布団の中でもそもそ考えてた


■0150ごろ

「ポ・ポツン」という音がしてやばいと思い、ベッドから機敏に這い出たら、じゃばー。

破水するとき、「パチン」とか「ぽん」っていう音がするって

ネットで読んだことがあったので、予備知識あってまじよかった。

そのちょっと前にポンという感覚があったけど、単なる胎動かなーと思ってた。

病院に電話したらすぐにきてくださいとのこと。

親に伝えたら送ってくれるって。ありがとう。

入院道具とバナナもって(お腹すくかなと思い)病院へ。


■0230

病院到着。内診(完全破水とのこと)

完全破水したら、すぐにでも産まないといけないのかなと思ってたけど、

この後の流れを経験したら、そうでもない感じ?


■0300

尿検査、NSTつける、お腹の子はいつもどおりもぞもぞ動いてる。

お腹すいた。朝ごはん食べたい。朝ごはんの前に陣痛きたらやだなあ。

さっきからちょいちょいお腹痛い


■0430

NST終わり。バナナ2本食べる。

持ってきてよかった。

なんか、バナナとかエネルギー補給のゼリーもたしかネットで読んだ気がする。

栄養補給的なものとして準備しておくと良いみたいな。

先人ママさんたち、知恵をありがとう。


■0500

体力温存のため、寝るように務める。

時々お腹痛い。今思えば、あんな痛み、ないも同然…


■0700

NSTつける

■0800

朝ごはん

■0830

担当の先生の検診。陣痛促進剤投与決定

陣痛促進剤投与決定したのは良いんだけど、その同意書に

陣痛が行き過ぎて過強陣痛やそれに伴って子宮破裂を起こしたり、

急激な陣痛のストレスで赤ちゃんの具合が悪くなったりする危険性があるとかで

「こえええええ」と思いつつ、同意しない道はないよな?と思ってさ。

同意しなかったらどうなるんだろうか。

陣痛促進しないほうが危険になるよね?多分。

■0900

促進剤①(錠剤を6錠まで1時間毎に飲む)、

ここからずっとNSTつけてる(このせいで産後お腹が一部かぶれてるぅ…)


■1000

促進剤②。まだ全然痛みは来ない。

ヘラヘラしている私に助産師さんにめちゃくちゃ痛いのが来るからと脅される

■1100

促進剤③。お腹が張るようになってきたかも。生理痛前側(お腹側)の痛み

■1200

促進剤④。お昼ごはん美味しく頂く。

ただ、食べ終わるころくらいに、

もしかするとこれは全部食べてはだめだったやつかもしれないと不安になる(後で不安的中)。

陣痛が生理痛後側(腰側)の痛みに変わる。

前側の痛みのほうが良い。腰めっちゃ痛い。
おなか側の痛みだと、腹筋でちょっとは制御できるじゃない?

腰とか背中ってなにもできない。

■1300

促進剤⑤。痛い。便意がきて、うんこする。やわらかい。下痢まではいかないけど、下痢っぽい。

■1400

担当の先生の検診。内診グリグリ、子宮口2-3センチ。

促進剤錠剤じゃなくて、点滴に切り替え。ここから一気に陣痛起こす感じだったのかも。

■1500

痛みがひどくてお昼ごはんもどす。

尿結石の人が吐いちゃうってきいたことあるけど、ホントだった。

痛みに耐える。

■1600

痛すぎて、無痛分娩をお願いしてみる。先生が違うからだめだった。

あとでわかったことだけど、促進剤投与すると、普通の陣痛よりも痛いことがあるらしい。

いや、私がそれだったかどうかはわからないけど、「お腹切ってくれ」って思うほど

本当に痛くてね。陣痛きてる10秒くらいの間、体がブルブル震えるくらいだったのよ。

■1700

帝王切開をお願いしてみる。若手助産師さんははっきりと無理といってくれず、

先生の病院勤務の検診が1730に終わるからそこからきいてみるっていってくれて、

あと30分がんばるか…とがんばってた。
あとになって思うとさ、最初から無理ってわかってたよね…

希望を残しておいてくれたのか、それとも助産師が言ってはいけない結論だったのか

わからないけれど、私としては無理なら無理っていってほしかったー。

■1730

帝王切開お願いしてみる(2)。

若手助産師さん、特別なことがないと無理だと思うって言ってきた。

私、愕然。痛すぎて陣痛の合間、ずっと意識が朦朧とする(多分寝不足もあったのかも…?)

そして、全身が震える。まじで死にたいと思った。

うんこしたい感覚(いきみたい感じ)になったら教えてくださいって言われてたので、

ずっとそれはなかったからただひたすら陣痛耐えてた

■1750くらい

担当の先生の検診。子宮口だいぶ開いてるとのこと。陣痛促進剤増やす。

■1800すぎ

先輩助産師さんが和痛分娩ならできるというので、それをお願いして、分娩室へ。

■1810

多分分娩台上がったのはこれくらいの時刻。助産師さんがめっちゃいた。5人。

一人内診グリグリ。もう頭見えてるとのこと。

尿カテーテル差し込まれて尿とられたり最後の準備。

和痛分娩って、ガスマスク装着されて、ガス吸わされる感じのやつ。

頭がぼやーっとする感じだったように思う。多分。

ガスがあったからぼやーっとしてたのか、陣痛に耐えて疲れすぎて意識が朦朧としてたのかわからん。笑

ただ、和痛分娩してくれてても、痛いは痛い。笑

いきんで良いよとか言われた記憶ない。

内診グリグリで無理やり子宮口広げられてるのか、お腹の子が押してるのかどっちかわからんが、

叫ばないともうやってらんないというか、痛いことを助産師さんに伝えたくて声出してた。

和痛分娩のガスのせいで頭ぼーっとしちゃって、助産師さんの声は聞こえてるのに、

体が全く動かず、このまま死んでしまうんだと本気で思った。

でも陣痛きたら動いた。

最初の陣痛でいきみ方教えてもらって

(ハンドルもって、お尻はあげず、足は踏ん張る)、

2回目で実践。もうそこまで出てきたらしく、3回目で出た

■1825

出た。泣いてくれた。よかった。へその緒絡まらなかった。

…というのは少し経ってから思い出したことで、終わったあとは、

「終わった…」としか思えなかった。

その後、会陰縫われたり胎盤出したり。

それらもそこそこ痛いと聞いていて、びびってたのだけど、

そこまでがもう死ぬほど痛かったので、痛いっちゃ痛いが、

私にとってはなんともなかった。

そこから2時間、分娩台の上で休憩。

2490gで低体重ということで、本当は保育器入らないといけなかったけど、

入らずに私の隣においてくれた。

低体重だと、低温になるので、電気アンカがかけられてたり、何度か採血したりしてた。

かかとをチクッとさして、血を出してた。痛そう。
2時間後、部屋に車椅子で連れてってもらい、夕食食べなさいと言われ、

食欲なくあんまり食べず、その後尿を強制的にさせられ(できなくなる妊婦さんがいるらしい)、

消毒の方法なども教えてもらって、その日は終わり。

子が私のところに出てきた、という実感もあまりなく、

目だけ冴えてたけど、体は多分ボロボロなんだろうなと思ったので、

ベッドの上で休んでた。切られた会陰と縮もうとする子宮が非常に痛い

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