母の変化 ― 子どもが4歳になって ―

日常

「気持ち悪い」

私の妊娠を知ったとき、母が私に投げた言葉の中で、とても悲しいものの一つです。

私の選択について、母は激しく怒りました。
あのときの母の顔、声、言葉、すべてが強烈に心に残っています。

私は選択的シングルマザーとして、子どもを持つという決断をしました。
でもその選択は、家族にとっては簡単に受け入れられるものではありませんでした。

妊娠時、母との間にあった深い溝

妊娠がわかったとき、私は伝え方を悩んでいましたが、できるだけ早く両親に報告しました。
でも返ってきたのは、まさに「拒絶」でした。

「どうしてそんなことをするの?」
「世間にどう説明するの?」
「子どもがかわいそうだと思わないの?」

怒鳴られたこともありますし、ほとんど口をきいてもらえない時期もありました。
つわりで苦しんでいた時期にも、期待はしてませんでしたが、母からのケアはなく、
むしろ私がその状態を見られたくなくて、隠れてゲロゲロやっていました。
挙句の果てには、「遠くに引っ越して。もう帰ってこないで」と言われたことさえあります。

あのときの私は、「私のやったことはそんなに悪いことなのか…?」と孤独で、心が削られていました。

でも、時は流れる。子どもが4歳になって

あれから約4年。
私の子どもは元気に育ち、おじいちゃん・おばあちゃんが大好きです。

そして、驚くべきことに、あの頃あれほど私を拒絶していた母が――
今ではその子ども(孫)を溺愛しています。

私と孫を想う母

私が実家に少し顔を出すだけで、母はキッチンをうろうろしながら何かしら持たせようとしてくれます。
「これもらったから持って帰りなさい」
「カボチャ炊いたけどいる?」
「○○ちゃん(孫)はヨーグルト好きだったよね?あったかしら?」
と、まるで宝探しのように食べ物を探してくれます。

さらには、孫の教育の話までするようになりました。
「これからは英語習わせたほうがいいかしら」
「タブレット学習って、どうなの?」
「お金かかるなら、少し協力できるわよ」

あの頃の「拒絶」はどこへやら…。
何もなかったかのように、孫への愛情と、未来への投資にまで話が及ぶのです。

会話には出てこないけれど

母は、私が妊娠・出産を決めた当時のことには一切触れてきません。
謝罪の言葉があるわけでもなく、過去を掘り返すこともありません。
私は、その時のことについて、もう一度真剣に話をして、両親から一言でも
「あのときはごめんね」と言ってほしいなと、思っていたりします。
なぜなら、あの経験があるから、この先一生両親を心の底から信用し、信頼することができないからです。
でも、それを求めることはしません。
なぜなら、母の行動が、そのすべてを語っているからです。

食べ物を持たせようとする優しさ、
孫に笑いかけるまなざし、
教育について一緒に考えてくれる時間。

それらすべてが、母なりの「ごめんね」と「愛してる」なのだと、私は受け取っています。
まだ完全には許せてないけれど、もう憎んではいないと感じています。

離れて暮らしているからこそ気づける愛情

私は母と日常的に一緒に暮らしているわけではありません。
だからこそ、会ったときの変化に敏感になるのかもしれません。

母の心の中に、どんな葛藤や変化があったのか、それはわかりません。
でも少なくとも、あの頃の怒りや悲しみは、もう残っていないようにも見えます。

家族の愛は、形を変えてゆく

選択的シングルマザーとしての人生は、簡単なものではないでしょう。
社会の視線、周囲の理解、家族の反応――どれも「常識」の範疇には入っておらず、ひと筋縄ではいかないことばかりです。

でも、時間がたてば、人の心は変わります。
そして愛の形もまた、変化していくものなのだと、母との関係から学びました。

母と私は、あの時のすれ違いを言葉で解決したわけではありません。
それでも、今こうして親子として再び向き合い、孫を中心にした小さな幸せを分かち合えることが、何よりの救いです。

おわりに

子どもが生まれるということは、私自身だけでなく、私の両親――つまり祖父母にとっても「変化のはじまり」でした。
最初は反対されても、拒絶されても、
その命が愛されて育っていく過程で、きっと人の心は溶けていくものなのだと思います。

そして今、私は確かに感じています。
母からの愛を。

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